青山学院大学大学院 会計プロフェッション研究科 GSPA
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教員リレーエッセイ Vol.1(2012.1.10)

原則主義で考える
―次代の会計プロフェッションへのメッセージ―

青山学院大学大学院
会計プロフェッション研究科 教授(当時)
唐沢 昌敬

 最近よく耳にするのが、原則主義で物事を考えていきましょうと言う言葉である。原則主義、それは大変美しい響きを持った言葉である。規則の適用に窮したら原則主義で考えましょう。もっともな話である。しかし、原則主義、原則主義と叫んでいる人に、原則主義とは何ですかと問いかけてみると、ほとんどの人が沈黙してしまう。しばらく天を仰いだ後、おもむろに原則主義とは原理・原則に遡って考えることですよという答えが返ってくる。しかし、原理・原則に遡って考えるとはどういうことかについては全く説明がない。議論はそこで止まってしまう。意識として、原則に遡って考えましょうということは、自然に受け入れられている。しかしながら、原則主義で考えるとは具体的にどういうことかを深く考えている人は少ない。
 何人かの人は、原則主義で考えるとは規則にとらわれずに現場の状況に合わせて判断することであると説明している。少し具体的な答えである。規則がすべての状況をカバーしているわけではないので、規則に縛られないという点では正しい。それでは現場の状況をどのように理解すればいいのか。重ねて問いかけてみると答えは様々である。もっとも多いのが、現場の人の意見を聞いて現場をしっかりと観察することであるという答えである。たしかに、それは大切なことである。経験科学では現場の経験と観察は研究の基本である。しかし、ただ聞いて観察するだけでは何もわからない。人の話を聞いて整理をしたり、現象を観察して正しい判断をするには、科学的視点が必要である。すなわち、哲学・方法論によって総合化された理論をよりどころに現象を観察し、理解することである。残念ながらこの点にまで言及している人は少ない。
 また、原則主義で考えるとは、概念フレームワークに沿って考えることですよと教えてくれる人もいる。一見すると正解のようにもみえる。しかし、概念フレームワークは、そのほとんどが会計の前提条件や基礎概念を説明したものである。会計専門職であれば、すでに熟知している内容である。既存の概念フレームワークを何度読み直しても、判断の基準はでてこない。ただし、これについては新しい動きも見られる。一部の学者はこの点に気づき、概念フレームワークの改善の動きを始めている。
 それでは、会計の問題を原則主義で考えるとはどういうことなのか。会計も人間の行為を対象とした人間にかかわる科学である。社会体系の維持とのかかわりで、価値志向と動機志向のバランスのもとに行われている人間の経済的行為の結果を認識・測定するものである。人間にかかわる科学であれば、原則主義で考えるとは、その行為の意味を人間の行為の本質にまで遡って考える必要があるということである。
 さて、人間行為の本質は何かである。何が人間行為の本質についての統一的見解があれば議論が進めやすい。しかし現実は、それほど簡単ではない。有史以来、人間に関する様々な見解が存在する。どの哲学・思想・方法論をとるかによって、人間の行為の本質・意味は異なったものとなる。またそこから組み立てられる社会的行為、政治的行為、経済的行為の意味も異なったものとなる。
 財産の共有を通して平等な社会の実現を目指す古典的社会主義では、生産手段の共有と経済の計画化を前提に、経済的行為が行われている。そこにおける経済的行為の意味は、労働力としての人間がその労働によってどれだけの価値を生み出すかである。そこでは、価値を生み出すのにどれだけ労働時間がかかったか、どれだけ費用がかかったかが社会的関心事となる。
 人間の行為が集約した制度を基本に理論を構築している制度経済学では、価値の源泉を産業効率に求めている。目指すところは人間の労働と機械制工場生産からどれだけ価値を創造するかである。ステークホルダーの関心は、計画化、標準化、システム化を進め、イノベーションを促進し、どれだけ生産の現場で価値を創造することができるかである。そこにおける関心は、総資本利益率の改善と付加価値の増加である。投機的利益やブローカー的利益は徹底的に排除される。すなわち、金融資本主義的発想のもとに計算された富は完全に否定される。
 現在はどうであろうか。人間の行為の集約としてどんな社会を理想とするのか。ひとつの考えが、理想主義の道徳哲学を指導原理とする自由主義社会である。それは、自由と状況の多様性、道徳的生活を維持するための財貨の確保を前提に、人々の人格の成長を目指す社会である。こうした考えのもとでは、個人の相互作用が適切な経済活動、有効な社会目標の実現、人々の連帯の確保、文化の継承、人々の精神的健全性の維持に向かい、こうした理念を実現する時、社会は均衡を維持することになるのである。このコンテクストでは、経済的行為の目指すところは、社会的目標の達成、人々の連帯の確保、精神的健全性の維持のために必要な富や資源の確保をすることである。ここでも投機的利益やブローカー的利益は排除され、産業がどれだけ生産性、効率をあげて価値を生み出すかが重視される。会計の目指すところは、バブル化した金融市場を前提にした価値や富の計算ではなく、実体経済で創造された価値の計算である。
 このように、どのような哲学・思想に基づくかにより、経済的行為の意味、会計情報の意味、求められる会計情報は異なったものとなるのである。
 現代社会には、功利主義・社会主義・自由主義・全体主義・快楽主義・拝金主義?などさまざまな哲学・思想があるが、経済的行為がそのうちどれをよりどころにするかにより、それを数値によって表現する会計行為の原則は異なったものとなる。また方法論としてプラグマチズムの影響を受けた実証主義をとるのか、理論の体系性を重視する社会学的機能主義をとるのかによって会計の理論の組み立ても異なったものとなる。今求められているのは、どのような哲学・思想・方法論をもとに理論を構築し、体系化するかである。まさに、本来の原則主義の徹底である。会計の分野でも、その方向への試みはすでに始まっている。
唐沢 昌敬(からさわ まさたか) 青山学院大学専門職大学院会計プロフェッション研究科教授。学校法人東京医科大学理事、唐沢公認会計士事務所所長、学校法人北里学園常任理事(2002年~2005年)、中央青山監査法人代表社員(1990年~1999年)、慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了、社会学博士(慶應義塾大学)、公認会計士・税理士 。

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