青山学院大学大学院 会計プロフェッション研究科 GSPA
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教員リレーエッセイ Vol.4(2014.10.15)

井上先生の『会計学原理』

青山学院大学大学院
会計プロフェッション研究科 教授(当時)
松井 隆幸

 会計プロフェション研究科の創立時から3年間、教授として在籍しておられた井上良二先生は、私にとって、大学院時代の恩師のお一人である。先生は、私が大学院の博士前期課程に進学した年次に、初めて大学院の授業を担当されることになったと記憶している。担当された授業の名称は、『会計学原理』であった。先生は、当時、イリノイ大学への留学から帰国されたばかりであり、新進気鋭の会計学者として注目されていた。大学院での講義担当は初めてということもあり、いったいどのような授業をなさるのだろうかという興味を持って、先生の研究室のドアをノック(当時、大学院生の数は少なかったので、多くの授業は、各教員の研究室で行われた)したことを覚えている。
 最初の授業時間に、井上先生がにこにこしながら「それでは、今年は、まずこの本を輪読しましょうか」とおっしゃって出されたのが、トーマス・クーンの『科学革命の構造』(中山茂(訳)、みすず書房、1971年)であった。クーンは科学史研究の大家であり、この本において「パラダイム」概念を提唱して注目を集めた。今日でこそ、「パラダイム」という用語は、ビジネス本などでも用いられて一般に知られるようになっているが、当時の私にとっては全く初耳であった。クーンは、この本において、自然科学発展の観察を通し、科学の進歩は進化論的な累積過程から生じるのではなく、既存の学問の危機において革命的変革が生じることによって進歩すると論じている。革命的変革は、それまで思考の枠組みとして採用されていた枠組みを打破し、異なった枠組みを採用することを意味するのであるが、これをパラダイム変革という。
 この本を手にして、私は「この授業は『会計学原理』だよね?」と思った。なにしろ、本の中に、会計学に関する話題はまったく出てこなかったから。しばらくして、『体系近代会計学Ⅰ 会計学基礎理論』(黒澤清(総編集)、中央経済社、1980年)の第一章、黒澤清先生による「会計学の学問的基礎」において、「パラダイム」概念に接した。黒澤先生は、社会科学では自然科学と異なりパラダイム移行は進化論的であることが普通で一つのパラダイムが支配的になることは少ないが、会計学において複数のパラダイムは既に生成しているとされ、これらの構造分析を試みられている。井上先生は、こうした議論に接するに際し、パラダイムとは何か、原典から理解させようとしたのかなと、勝手に解釈した。原典といって、翻訳書を取り出されたのは、われわれの読解力を配慮してのことだったと思うのであるが。
 輪読を進めていく中で、井上先生は「これを読むといいですよ」とおっしゃって、一冊の新書を差し出された。岩崎武雄『正しく考えるために』(講談社現代新書、1972年)だった。この本の表紙には、次の文が掲載されていた。
 「人間は「考える」ことなしには生きてゆけない。よりよく生きるとはよりよく考えることである。よりよく考えるにはどうしたらいいか。論理的に誤りのない「正しい」判断ができるだけの心構えと論理を身につけることである。」
 井上先生がこの本を紹介されたのは、授業におけるわれわれの議論があまりに稚拙で、正しい判断ができるだけの心構えも論理も身についていないと感じられたからかも知れない。この本において「心構え」として強調されているのが、批判的精神である。批判的精神とは、「すべてのことに対して疑いを持つ」ことで、「いろいろの意見に対して、それをただちに信じてしまわずに、一応それを疑ってかかること」(27頁)を指している。ただし、単に否定することではなく、「他人の意見に対しても取るべきはとり、捨てるべきは捨てるという態度を取る心構え」(41頁)とも説明されている。また、「情報の受け取り方」として、他人の伝える情報には「それぞれの人の主観的な関心によって、その限られた側面のみを伝えている危険性」があるため、他人の伝える情報を安易には信じず、情報の信頼性を確かめるようにして批判的精神を持つように努めるべきであるとも述べている(62頁)。又聞きによらず、原典に当たることも、こうした観点から重要である。
 この本では、また、「少なくとも正しい推理をするためには形式的に正しい演繹関係を打ち立て」なければならず、「この形式条件を満足させていない推理は、たとえ内容的にはその推理において出てくる判断がすべて真であっても」正しい推理とはいえないという(119頁)。その上で、推理に用いる概念の同一性に注意することの重要さを指摘し、具体的な例を用いて、陥りやすい誤りについて説明している。
 心構えと論理を身につけることは、どのような領域で仕事をする場合にでも必要なことである。『会計学原理』では、このような「原理」を考えるように方向付けていただくことが多かった。
 監査人にとっても、監査制度がいかに変遷しようと、心構えと論理は不可欠である。監査においては、常に職業的懐疑心を保持し、必要に応じて発揮し、さらに高めていくことを重視する。職業的懐疑心を、たとえば、監査基準委員会報告書200(12項)は「誤謬又は不正による虚偽表示の可能性を示す状態に常に注意し、監査証拠を鵜呑みにせず、批判的に評価する姿勢をいう。」と定義する。財務諸表監査の性格上、虚偽表示の可能性を示す状況を見逃さないことが強調されるが、監査証拠(情報)の信頼性を確かめ、批判的に評価する姿勢は、「正しく」考えるための心構えとして述べられていることと共通する。また、監査実施において監査人は、監査証拠が監査要点(アサーション)を証明するための適合性があるかどうか評価しなければならないが、証拠に基づく正しい推理(論理)が要請される領域であろう。

松井 隆幸(まつい たかゆき) 青山学院大学大学院会計プロフェッション研究科教授。
1985年、中央大学大学院商学研究科博士後期課程満期退学。同年、拓殖大学商学部助手。専任講師、助教授、教授を経て、2005年より現職。現在、日本監査研究学会理事、公認会計士試験・試験委員。大学院では、監査基準、内部監査などを担当。著書に『内部監査機能の管理』同文舘2007年、『内部監査(五訂版)』同文舘2011年、などがある。

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