教員リレーエッセイ Vol.10(2021.02.15)
カミュ『ペスト』を読んだ
―次代の会計プロフェッションへのメッセージ―
青山学院大学大学院
会計プロフェッション研究科 准教授
久持 英司
この文章を2020年8月末頃に書いている。各地では依然としてマスク着用、店舗入口等での消毒液の使用、密集状態になりがちな会合・イベントの中止、等々が行われている時期である。そんな時期なので、新型コロナウィルス感染症に絡んだ話を書くことになるのはご多分に漏れず、というところだろう。
今回のコロナ禍もあり、疫病蔓延に関する本が流行っているとのことだ。文章を書くにあたり、私も地元の本屋であさってみた。あまのじゃくなので、新刊をわざわざこのために買いたいとは思わない。そこで、古典のコーナーで探すことになり、買ったのがカミュの『ペスト』(宮崎嶺雄訳[1969]新潮文庫)だ(増刷も新刊も同じという突っ込みもあろうが)。原典がフランスで出版されたのは1947年ということだが、訳書を刊行した新潮社によれば、2020年5月時点で2月以降から36万部を増刷し、5月までの累計発行部数は125万部という。同社ウェブサイトによれば、2020年8月末には新潮文庫ベストセラーランキングで6位だそうだ。
本書は、あちこちの書評でも取り上げられている。もちろん、優れた書評や解説はいくらでもあるのだが、中には現代の日本と結びつけようとして、政府の対応の遅さへの批判をする(『ペスト』にはそんな描写はそれほど多くないと思うのだが…)、あるいは疫病の流行っている中でもっと経済活動を制限すべき(『ペスト』では町が閉鎖されている中でレストランや劇場の繁盛ぶりや満員電車の描写もあるのだが…)、などと述べたものもあった。1947年出版であることから、ペストが第二次大戦中の全体主義を象徴しており、現代にも警鐘を鳴らしている、という話も、テレビで本書を解読した番組で見た記憶がある。そもそも『ペスト』は小説であって現実を活写したものではないため、その描写内容がいちいち現代の日本にとって参考になるわけではないと思うのだが、ともかく私の読みが浅いためか、上記の各種の捉え方はできなかった。
『ペスト』は194*年フランス領アルジェリアのオラン市での出来事として語られる。カミュというと不条理を描いたといわれるが、この意味は、俗語でいう「シュール」や「超現実的」といった意味とは異なるようである。『岩波哲学・思想事典』の「不条理」の項目(p.1372)では、「理論的思考では筋が見えず、理由の分からないこと。……現代思想では、カミュが人生と世界の無根拠性の意味で使って有名になった。彼によれば、人間は、世界の偶然性を越えることはができない。そして、世界と人生は、理性で割り切れないのに、『明晰を求める死にものぐるいの欲望』が人間にある。この対立こそ不条理であるとされる。……『ペスト』……では、『不条理なるがゆえにいっそうよく生きられる』といった考え方が主導的になる……」とある(…は中略部分)。つまり、人間は自分の人生自体に対し理性によって意味を見出そう、または見出したいと考えているにもかかわらず、実際の世の中は自分と関係なく存在し動き続けているため、この差異や対立について不条理を感じることになる。この場合、人間は自分のほうを実際の世の中に合わせることができない、すなわち人生には何ら意味はないと考えることに耐えられないということがポイントとなる。
この人口約20万のオラン市にペストが蔓延し封鎖される。ふだんは自分と世の中との差異を意識しなくても、この状況では嫌でも差異としての不条理を感じざるを得なくなる。
では、このような不条理な世界、言い換えれば意味を見出せない世界において神ならぬ人間はどのように生きて行けばよいか、具体的には文庫本の帯にあるとおり「熱病の蔓延する封鎖された街で、人はどう振る舞うのか?」ということが問われることになる。しかし本を読み進めると、ペストによる惨状についてはいくつかのエピソードを除くと詳細に説明されることはあまり多くなく、主人公たちによるペスト患者の介抱や、彼らが結成したボランティアの保健隊の活動などについての詳しい描写も少ない。
『ペスト』は小説なので登場人物の行動はカミュの思想を反映している。そこでは「共感」と「連帯」ということが強調されているように思える。言い換えると、他人事(たにんごと)(あえて誤読)ではなく自分事(じぶんごと)(あえて造語)として考えること、となる。たとえば主人公の1人、パヌルー神父はペストの感染が始まる頃にはペストは神による罰であるとして「あなたがたは」という言葉を説教に用いていたのを、救護活動に関わりまた子供の死を間近に見たことで次の説教では「私どもは」という言い方に変わっている。パリから来ていてオラン市に閉じ込められた新聞記者ランベールは、自分は外部の者だとして頻りと脱出を図ろうとするが、医師リウーらの活動や町の状況を見て保健隊に参加することを決める。
共感および連帯すれば、不条理に対する行動、すなわちカミュのいう「反抗」は大々的なものになるかというと、そうではない。たとえば保健隊で1人だけヒーローを挙げるとすれば、それは老役人のグランであるとしている。グランは、目立った仕事をしていたわけではなく、また通常の仕事をすべて犠牲にしていたわけでもなく、毎日2時間、ペスト患者の状況に関する集計と整理をしていた。とにかくこれは「なすべきことだけをなそうと、律儀に努めていた」(訳書p.202)として、「いわゆるヒーローなるものの手本と雛型とを目の前にもつことを熱望するというのが事実なら、またこの物語のなかに、ぜひともそれが一人必要であるのなら、筆者はまさに微々として目立たぬこのヒーロー――その身にあるものとしては、わずかばかりの心の善良さと、一見滑稽な理想があるにすぎぬこのヒーローを提供する」(訳書pp.202-203)のだとされる。
ここまで書いたのは、日頃、必ずしも世の中からは目立つ存在とされていないであろう、会計人(資格の有無に関わらず専門知識を有する会計プロフェッション)も、いかなる危機的な状況においても実はその専門性を生かしてグランのように「ヒーロー」足り得るのではないか、ということを示したかったからである。
一方で『ペスト』には、前述の医師リウーがラジオでオラン市を市外から応援する放送を聴いていた時に、そのあまりの雄弁ぶり演説ぶりに白々しさを感じて聴くのをやめてしまう、というエピソードがある。自戒を込めてこのことも記しておきたい。
今回のコロナ禍もあり、疫病蔓延に関する本が流行っているとのことだ。文章を書くにあたり、私も地元の本屋であさってみた。あまのじゃくなので、新刊をわざわざこのために買いたいとは思わない。そこで、古典のコーナーで探すことになり、買ったのがカミュの『ペスト』(宮崎嶺雄訳[1969]新潮文庫)だ(増刷も新刊も同じという突っ込みもあろうが)。原典がフランスで出版されたのは1947年ということだが、訳書を刊行した新潮社によれば、2020年5月時点で2月以降から36万部を増刷し、5月までの累計発行部数は125万部という。同社ウェブサイトによれば、2020年8月末には新潮文庫ベストセラーランキングで6位だそうだ。
本書は、あちこちの書評でも取り上げられている。もちろん、優れた書評や解説はいくらでもあるのだが、中には現代の日本と結びつけようとして、政府の対応の遅さへの批判をする(『ペスト』にはそんな描写はそれほど多くないと思うのだが…)、あるいは疫病の流行っている中でもっと経済活動を制限すべき(『ペスト』では町が閉鎖されている中でレストランや劇場の繁盛ぶりや満員電車の描写もあるのだが…)、などと述べたものもあった。1947年出版であることから、ペストが第二次大戦中の全体主義を象徴しており、現代にも警鐘を鳴らしている、という話も、テレビで本書を解読した番組で見た記憶がある。そもそも『ペスト』は小説であって現実を活写したものではないため、その描写内容がいちいち現代の日本にとって参考になるわけではないと思うのだが、ともかく私の読みが浅いためか、上記の各種の捉え方はできなかった。
『ペスト』は194*年フランス領アルジェリアのオラン市での出来事として語られる。カミュというと不条理を描いたといわれるが、この意味は、俗語でいう「シュール」や「超現実的」といった意味とは異なるようである。『岩波哲学・思想事典』の「不条理」の項目(p.1372)では、「理論的思考では筋が見えず、理由の分からないこと。……現代思想では、カミュが人生と世界の無根拠性の意味で使って有名になった。彼によれば、人間は、世界の偶然性を越えることはができない。そして、世界と人生は、理性で割り切れないのに、『明晰を求める死にものぐるいの欲望』が人間にある。この対立こそ不条理であるとされる。……『ペスト』……では、『不条理なるがゆえにいっそうよく生きられる』といった考え方が主導的になる……」とある(…は中略部分)。つまり、人間は自分の人生自体に対し理性によって意味を見出そう、または見出したいと考えているにもかかわらず、実際の世の中は自分と関係なく存在し動き続けているため、この差異や対立について不条理を感じることになる。この場合、人間は自分のほうを実際の世の中に合わせることができない、すなわち人生には何ら意味はないと考えることに耐えられないということがポイントとなる。
この人口約20万のオラン市にペストが蔓延し封鎖される。ふだんは自分と世の中との差異を意識しなくても、この状況では嫌でも差異としての不条理を感じざるを得なくなる。
では、このような不条理な世界、言い換えれば意味を見出せない世界において神ならぬ人間はどのように生きて行けばよいか、具体的には文庫本の帯にあるとおり「熱病の蔓延する封鎖された街で、人はどう振る舞うのか?」ということが問われることになる。しかし本を読み進めると、ペストによる惨状についてはいくつかのエピソードを除くと詳細に説明されることはあまり多くなく、主人公たちによるペスト患者の介抱や、彼らが結成したボランティアの保健隊の活動などについての詳しい描写も少ない。
『ペスト』は小説なので登場人物の行動はカミュの思想を反映している。そこでは「共感」と「連帯」ということが強調されているように思える。言い換えると、他人事(たにんごと)(あえて誤読)ではなく自分事(じぶんごと)(あえて造語)として考えること、となる。たとえば主人公の1人、パヌルー神父はペストの感染が始まる頃にはペストは神による罰であるとして「あなたがたは」という言葉を説教に用いていたのを、救護活動に関わりまた子供の死を間近に見たことで次の説教では「私どもは」という言い方に変わっている。パリから来ていてオラン市に閉じ込められた新聞記者ランベールは、自分は外部の者だとして頻りと脱出を図ろうとするが、医師リウーらの活動や町の状況を見て保健隊に参加することを決める。
共感および連帯すれば、不条理に対する行動、すなわちカミュのいう「反抗」は大々的なものになるかというと、そうではない。たとえば保健隊で1人だけヒーローを挙げるとすれば、それは老役人のグランであるとしている。グランは、目立った仕事をしていたわけではなく、また通常の仕事をすべて犠牲にしていたわけでもなく、毎日2時間、ペスト患者の状況に関する集計と整理をしていた。とにかくこれは「なすべきことだけをなそうと、律儀に努めていた」(訳書p.202)として、「いわゆるヒーローなるものの手本と雛型とを目の前にもつことを熱望するというのが事実なら、またこの物語のなかに、ぜひともそれが一人必要であるのなら、筆者はまさに微々として目立たぬこのヒーロー――その身にあるものとしては、わずかばかりの心の善良さと、一見滑稽な理想があるにすぎぬこのヒーローを提供する」(訳書pp.202-203)のだとされる。
ここまで書いたのは、日頃、必ずしも世の中からは目立つ存在とされていないであろう、会計人(資格の有無に関わらず専門知識を有する会計プロフェッション)も、いかなる危機的な状況においても実はその専門性を生かしてグランのように「ヒーロー」足り得るのではないか、ということを示したかったからである。
一方で『ペスト』には、前述の医師リウーがラジオでオラン市を市外から応援する放送を聴いていた時に、そのあまりの雄弁ぶり演説ぶりに白々しさを感じて聴くのをやめてしまう、というエピソードがある。自戒を込めてこのことも記しておきたい。
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