教員リレーエッセイ Vol.3(2013.11.15)
「大人(おとな)として」の会計プロフェッションであれ!
青山学院大学大学院
会計プロフェッション研究科 教授
八田 進二
本誌第2号「監査は不正を見抜けるか?」での対談において、弁護士の久保利英明氏は、締めの言葉として、次のように話されている。まさに至言である。
「要するに、プロフェッションは大人がやらなくてはいけない仕事です。たぶん、お医者さんもそうだと思います。大人がやる仕事については若くて優秀ということはありえないのです。若ければ、社会を知らない分だけ、人間を知らない分だけ、危険に遭っていない分だけ、優秀ではありません。そのことをどこかでダーンと打ち出さないと。試験に受かっただけでは非優秀である。若くて頭が固いから正解のある試験にすぐ受かるのだ、早く受かった者はよくないというメッセージを伝えるべきだと私は思います。」
2003年の公認会計士法の改正により、わが国の公認会計士試験は、従来実施されていた1次試験、2次試験および3次試験の3回5段階方式の試験から、現在の1回2段階方式へと、簡素化が図られたのである。とりわけ、従来の試験では、公認会計士試験の受験資格要件と捉えていた1次試験については、大学学部2年修了をもって免除にするということで、中心的な試験として位置づけられていた2次試験受験がわが国における最高学府の高等教育機関である大学教育の履修と密接にリンクさせていたからである。ところが、現行の試験制度への改正では、規制緩和の名の下に、公認会計士試験の受験資格要件について、これを一切撤廃してしまったため、わが国における正規の高等教育機関における教育との関係は完全に遮断されてしまったのである。
一方、わが国の公認会計士制度の範ともなった米国の場合、能力的にも、また、人格的にも優れたプロフェッションとなるためには、一定期間にわたる正規の教育機関での教育の履修が不可欠であるとして、基本的に、大学教育において会計関連科目24単位以上の履修を含む、総単位で150単位以上の履修が、受験資格要件となっているのである。そのため、学部教育での単位取得だけでは150単位の取得が困難とされる場合には、その上の大学院での教育の履修により、晴れて受験資格を獲得することになるのである。
というのも、米国では、公認会計士たる者は、単なる帳簿記入に長けた技術屋(テクニシャン)ではなく、企業活動の実態に精通したうえで、高度な倫理観と誠実性を備えるとともに、会計上の的確な判断を下すことの出来る専門職業人(プロフェッション)でなければならない、という強い信念に裏打ちされているからである。
翻って、わが国の場合、不幸にも、会計プロフェッションであるべき公認会計士の果たす役割が十分に理解されていないせいか、従来要請されていたプロフェッションの前提ともいえる教育履修要件が全廃されたことで、現在すでに、公認会計士業界の質の劣化が懸念されているのである。それどころか、わが国では、高度な倫理観を備えた優秀な人材を会計プロフェッションの世界に引き寄せるための施策として、会計専門職大学院の設置を推進したのである。しかし、教育要件どころか、年齢制限すら課せられていない現行の公認会計士試験の場合、一定の時間と相応の教育資金の投入が求められる会計専門職大学院に在籍することに対して、逆に否定的な意見を有する者も決して少なくない。それよりも、より短期間での試験合格を目論み、大学や高校での正規の教育すら等閑視して、いわゆる受験予備校での学習に身を投じる向きも少なくないのである。
しかし、公認会計士として、経済社会に身を置くようになるとき、誰もが一様に感じることは、受験勉強を通じてのみでは決して習得できない、広範囲の知識、各種の経験、そして幅広い教養こそが、監査現場においても求められるということである。そうした素養すら習得せずして、公認会計士として求められる監査および会計業務上の判断を的確に下すことは、極めて困難であるといわざるを得ない。その結果、本来の姿であるプロフェッションとしての信頼を得ることができないという矛盾を抱えることになるのである。
残念ながら、現行の公認会計士試験制度を直ちに是正することは困難であろうが、グローバル化の真っ只中で活躍すべき会計プロフェッションたる者は、試験合格といった目先の目標に目を奪われることで、会計プロフェッション本来の使命を忘れてはならない。そこには、公共の利益を守るといった崇高な社会的役割と市場の番人としての社会からの期待が存しており、そうした役割を担うためには、広範にわたる深い教養を身に付けるとともに一定レベル以上の倫理観および誠実性を体得すること、そして、高度化ないしは複雑化する経済社会の中において、会計および監査上の的確な判断を下すことの出来る専門的能力を具備し続けることが強く求められているのである。
思うに、いまだにわが国では、会計を学ぶことが簿記技術に長けることであると誤解する向きも決して少なくない。そのため、多くの大学での会計系列の学科目として、「簿記原理」ないしは「初級簿記」といったような、まさに技術屋(テクニシャン)養成のカリキュラムが会計学学習の領域で中核を担っている状況が、いまだに払拭されていない。加えて、簿記能力判定のための検定試験等では、昨今の加速度的に発展するIT社会でありながら、10年一日のごとく、手書き帳簿を前提とした旧態依然とした出題内容で覆い尽くされているのも、また、わが国における会計教育の現実なのである。
今や、全入時代と言われるようになったわが国の大学が置かれている現状からして、世界で伍して戦える有能な人材を、学部教育を通じてのみ輩出することは極めて困難であると思われる。かといって、その上位にある既存の研究科大学院が、プロフェッションの育成に適っているかというと、こちらについても、あくまでも研究者養成を基軸としたシステムとなっているため、期待することはほとんど無理なのである。
その意味で、高度な専門職業教育を担う会計専門職大学院に求められていることは、「大人として」のプロフェッションの養成なのである。まさに、「大人でない会計プロフェッションは用無し」と言っても過言ではないであろう。
「要するに、プロフェッションは大人がやらなくてはいけない仕事です。たぶん、お医者さんもそうだと思います。大人がやる仕事については若くて優秀ということはありえないのです。若ければ、社会を知らない分だけ、人間を知らない分だけ、危険に遭っていない分だけ、優秀ではありません。そのことをどこかでダーンと打ち出さないと。試験に受かっただけでは非優秀である。若くて頭が固いから正解のある試験にすぐ受かるのだ、早く受かった者はよくないというメッセージを伝えるべきだと私は思います。」
2003年の公認会計士法の改正により、わが国の公認会計士試験は、従来実施されていた1次試験、2次試験および3次試験の3回5段階方式の試験から、現在の1回2段階方式へと、簡素化が図られたのである。とりわけ、従来の試験では、公認会計士試験の受験資格要件と捉えていた1次試験については、大学学部2年修了をもって免除にするということで、中心的な試験として位置づけられていた2次試験受験がわが国における最高学府の高等教育機関である大学教育の履修と密接にリンクさせていたからである。ところが、現行の試験制度への改正では、規制緩和の名の下に、公認会計士試験の受験資格要件について、これを一切撤廃してしまったため、わが国における正規の高等教育機関における教育との関係は完全に遮断されてしまったのである。
一方、わが国の公認会計士制度の範ともなった米国の場合、能力的にも、また、人格的にも優れたプロフェッションとなるためには、一定期間にわたる正規の教育機関での教育の履修が不可欠であるとして、基本的に、大学教育において会計関連科目24単位以上の履修を含む、総単位で150単位以上の履修が、受験資格要件となっているのである。そのため、学部教育での単位取得だけでは150単位の取得が困難とされる場合には、その上の大学院での教育の履修により、晴れて受験資格を獲得することになるのである。
というのも、米国では、公認会計士たる者は、単なる帳簿記入に長けた技術屋(テクニシャン)ではなく、企業活動の実態に精通したうえで、高度な倫理観と誠実性を備えるとともに、会計上の的確な判断を下すことの出来る専門職業人(プロフェッション)でなければならない、という強い信念に裏打ちされているからである。
翻って、わが国の場合、不幸にも、会計プロフェッションであるべき公認会計士の果たす役割が十分に理解されていないせいか、従来要請されていたプロフェッションの前提ともいえる教育履修要件が全廃されたことで、現在すでに、公認会計士業界の質の劣化が懸念されているのである。それどころか、わが国では、高度な倫理観を備えた優秀な人材を会計プロフェッションの世界に引き寄せるための施策として、会計専門職大学院の設置を推進したのである。しかし、教育要件どころか、年齢制限すら課せられていない現行の公認会計士試験の場合、一定の時間と相応の教育資金の投入が求められる会計専門職大学院に在籍することに対して、逆に否定的な意見を有する者も決して少なくない。それよりも、より短期間での試験合格を目論み、大学や高校での正規の教育すら等閑視して、いわゆる受験予備校での学習に身を投じる向きも少なくないのである。
しかし、公認会計士として、経済社会に身を置くようになるとき、誰もが一様に感じることは、受験勉強を通じてのみでは決して習得できない、広範囲の知識、各種の経験、そして幅広い教養こそが、監査現場においても求められるということである。そうした素養すら習得せずして、公認会計士として求められる監査および会計業務上の判断を的確に下すことは、極めて困難であるといわざるを得ない。その結果、本来の姿であるプロフェッションとしての信頼を得ることができないという矛盾を抱えることになるのである。
残念ながら、現行の公認会計士試験制度を直ちに是正することは困難であろうが、グローバル化の真っ只中で活躍すべき会計プロフェッションたる者は、試験合格といった目先の目標に目を奪われることで、会計プロフェッション本来の使命を忘れてはならない。そこには、公共の利益を守るといった崇高な社会的役割と市場の番人としての社会からの期待が存しており、そうした役割を担うためには、広範にわたる深い教養を身に付けるとともに一定レベル以上の倫理観および誠実性を体得すること、そして、高度化ないしは複雑化する経済社会の中において、会計および監査上の的確な判断を下すことの出来る専門的能力を具備し続けることが強く求められているのである。
思うに、いまだにわが国では、会計を学ぶことが簿記技術に長けることであると誤解する向きも決して少なくない。そのため、多くの大学での会計系列の学科目として、「簿記原理」ないしは「初級簿記」といったような、まさに技術屋(テクニシャン)養成のカリキュラムが会計学学習の領域で中核を担っている状況が、いまだに払拭されていない。加えて、簿記能力判定のための検定試験等では、昨今の加速度的に発展するIT社会でありながら、10年一日のごとく、手書き帳簿を前提とした旧態依然とした出題内容で覆い尽くされているのも、また、わが国における会計教育の現実なのである。
今や、全入時代と言われるようになったわが国の大学が置かれている現状からして、世界で伍して戦える有能な人材を、学部教育を通じてのみ輩出することは極めて困難であると思われる。かといって、その上位にある既存の研究科大学院が、プロフェッションの育成に適っているかというと、こちらについても、あくまでも研究者養成を基軸としたシステムとなっているため、期待することはほとんど無理なのである。
その意味で、高度な専門職業教育を担う会計専門職大学院に求められていることは、「大人として」のプロフェッションの養成なのである。まさに、「大人でない会計プロフェッションは用無し」と言っても過言ではないであろう。
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