教員リレーエッセイ Vol.6(2016.10.10)
職業的懐疑心教育
―次代の会計プロフェッションへのメッセージ―
青山学院大学大学院
会計プロフェッション研究科 教授
多賀谷 充
多様性の時代といわれる。自然界の種々の研究から、組織の構成員が多様性に富むことは、一見非効率に見えながら柔軟でサスティナブルな組織を作るということがわかってきた。我が国の古い説話(古今著聞集)にも、「春は桜梅桃李の花あり、秋は紅蘭紫菊の花あり、皆これ錦繍の色、酷烈の匂なり」という文章があるそうだ。多様な個性を活かしてそれぞれが輝いていくことはすばらしいという意といわれ、会計プロフェッションにも求めたい姿である。ただし、多様性は単にばらばらの個性の寄せ集めではなく、本質として求められる資質を基盤としてその上に個性を活かすことではないかと考える。
会計不正の防止や摘発は長い歴史的な挑戦であり、これまでも監査基準の改訂、企業の内部統制監査制度の導入やガバナンスの強化など各般の対応が行われてきた。しかし、2015年も有名企業の会計不正が発覚し、「監査人は何をしていたのか」という社会的批判が起こるとともに、監査のマニュアル化や画一化といった弊害を指摘する向きもある。監査の失敗は要すれば監査人の「職業的懐疑心の欠如」に帰着するが故に、監査人たる会計プロフェッションの人材育成においては、まず、職業的懐疑心という根本的問題への取り組みが必要となる。
金融庁が2015年に設置した「会計監査の在り方に関する懇談会」が2016年3月に公表した提言においては、監査法人のマネジメントの強化や企業不正を見抜く力の向上を含め、鳥瞰的な視点から多角的総合的に各種の施策が提言されている。その中で、会計士個人の力量の向上と組織としての職業的懐疑心の発揮の施策の説明として、①不正対応に係る教育研修の充実、②関連する資格取得や企業への出向等の慫慂、③監査チーム内のやり取りを通じたOJTの充実が挙げられている。このような方策の内容として、一定の専門的知識を有する会計士が本当に学ぶべきことは、経営者が不正や粉飾を行った要因であり、また、監査の失敗に至った職業的懐疑心の欠落の原因である。これらを究明してこそ必要十分な能力の習得となり得るが、職業的懐疑心教育は大変に難しいものである。
会計プロフェッション養成の基礎となるのは、まず哲学や方法論といったリベラルアーツ教育であり(本誌創刊号の唐沢昌敬教授のコラム参照)、さらに大人としてのプロフェッションを養成する職業倫理教育である(本誌第3号の八田進二教授のコラム参照)。
その上で、近年、職業的懐疑心の教育や研究について、監査学会の研究部会でも研究成果がまとめられるなど学問的研究が着実に進められてきている。しかしながら、その研究はまだ十分とは言えない。特に、監査人が適切に職業的懐疑心を発揮し得なくなった要因については、実務面と学術面の双方から研究する必要があろう。
その一つの方法として、私も多少授業に取り入れている行動経済学の研究の知見に注目したい。経営マネジメントの分野では、経営者の失敗をプロスペクト理論などにより分析する多くの研究がある。また、組織論の分野では組織のサイロ化による弊害等の研究がされている。米国では監査に関わる研究も行われており、「善意の会計士が不正監査を犯す理由」(『組織行動論の実学』ダイヤモンド社)など、興味深い知見が発表されている。こういった行動科学の専門知識を取り入れることで、性善説か性悪説かといった経営者観の不毛な議論によらずに、経営者の思考や行動を検証し、さらに、監査人の判断に生じる認知バイアスや監査組織運営上の問題を監査リスクの構成要素の一つとして検討することもできよう。
経営者不正がなくなるわけではない中で、監査人が個人として重い責任を引き受けるだけでは、監査は魅力の乏しい仕事になってしまう。どのような場合に職業的懐疑心を適切に発揮できなくなってしまう可能性があるのかを検証することは、個人としての監査人も守ることになろう。そのため、困難な面もあるが、専門的知識の教育と実践における経験が相互に補完しあう、あるいは融合する形での研究や教育を開発していくことが重要な課題となる。
いずれにせよプロフェッションは公共の利益を守るとの社会的認知のもとで存在する。したがって、会計プロフェッションには職業人として公共の利益を重んじることが要請される。就中、監査人たる会計プロフェッションには職業的懐疑心の保持あるいは発揮が本質的に求められる資質となろう(我が国の公認会計士という名称ではCPAのP(パブリック)が抜けてしまったことが残念である。因みに、我が国の監査基準の生みの親ともいえる岩田巌先生は「公共会計士」の用語を使っている)。他方、懇談会の提言にある関連資格の取得や企業への出向などは、閉鎖性や画一性に対する対処として多様性を求めるものとも言える。今後、国際的にも通用する会計プロフェッションとして、本質的資質を共通の基盤としたうえで、多様な知見・能力・経験を有する人材が育成されるような仕組みを構築していく取り組みを進めていくべきであると考える。
ただ、どのような仕組みを整えたとしても、究極は精神的独立性の問題である。そこで最後に、次代の会計プロフェッションを目指す若人へのメッセージとして、「鴻鵠高飛不集汚池」(鴻鵠は高く飛んで、汚地に集まらず『列士』)という一文を贈りたい。
これは私が中学生のときに校長の訓話の中で聞き、なぜか覚えている漢籍の一文である。この文章の前に「呑舟の魚は、枝流に游がず」という有名な句があり、後ろに「何となれば則ち其の極遠ければなり」とう句が続く。そして何よりこの訓話をされた校長先生は我が国漢字学の泰斗である諸橋轍次氏の高弟として大漢和辞典の修訂をされた大学者であったこと、かつそのまた弟子が私の高校の漢文の先生であったことを、ずっと後になって知った。
その時はわからないことでも、時間をかけて醸成され、人生経験を経てやっと気付く大切なこともある。高い精神性を師から弟子へと連綿と伝えていくことも教育の重要な使命である。
会計不正の防止や摘発は長い歴史的な挑戦であり、これまでも監査基準の改訂、企業の内部統制監査制度の導入やガバナンスの強化など各般の対応が行われてきた。しかし、2015年も有名企業の会計不正が発覚し、「監査人は何をしていたのか」という社会的批判が起こるとともに、監査のマニュアル化や画一化といった弊害を指摘する向きもある。監査の失敗は要すれば監査人の「職業的懐疑心の欠如」に帰着するが故に、監査人たる会計プロフェッションの人材育成においては、まず、職業的懐疑心という根本的問題への取り組みが必要となる。
金融庁が2015年に設置した「会計監査の在り方に関する懇談会」が2016年3月に公表した提言においては、監査法人のマネジメントの強化や企業不正を見抜く力の向上を含め、鳥瞰的な視点から多角的総合的に各種の施策が提言されている。その中で、会計士個人の力量の向上と組織としての職業的懐疑心の発揮の施策の説明として、①不正対応に係る教育研修の充実、②関連する資格取得や企業への出向等の慫慂、③監査チーム内のやり取りを通じたOJTの充実が挙げられている。このような方策の内容として、一定の専門的知識を有する会計士が本当に学ぶべきことは、経営者が不正や粉飾を行った要因であり、また、監査の失敗に至った職業的懐疑心の欠落の原因である。これらを究明してこそ必要十分な能力の習得となり得るが、職業的懐疑心教育は大変に難しいものである。
会計プロフェッション養成の基礎となるのは、まず哲学や方法論といったリベラルアーツ教育であり(本誌創刊号の唐沢昌敬教授のコラム参照)、さらに大人としてのプロフェッションを養成する職業倫理教育である(本誌第3号の八田進二教授のコラム参照)。
その上で、近年、職業的懐疑心の教育や研究について、監査学会の研究部会でも研究成果がまとめられるなど学問的研究が着実に進められてきている。しかしながら、その研究はまだ十分とは言えない。特に、監査人が適切に職業的懐疑心を発揮し得なくなった要因については、実務面と学術面の双方から研究する必要があろう。
その一つの方法として、私も多少授業に取り入れている行動経済学の研究の知見に注目したい。経営マネジメントの分野では、経営者の失敗をプロスペクト理論などにより分析する多くの研究がある。また、組織論の分野では組織のサイロ化による弊害等の研究がされている。米国では監査に関わる研究も行われており、「善意の会計士が不正監査を犯す理由」(『組織行動論の実学』ダイヤモンド社)など、興味深い知見が発表されている。こういった行動科学の専門知識を取り入れることで、性善説か性悪説かといった経営者観の不毛な議論によらずに、経営者の思考や行動を検証し、さらに、監査人の判断に生じる認知バイアスや監査組織運営上の問題を監査リスクの構成要素の一つとして検討することもできよう。
経営者不正がなくなるわけではない中で、監査人が個人として重い責任を引き受けるだけでは、監査は魅力の乏しい仕事になってしまう。どのような場合に職業的懐疑心を適切に発揮できなくなってしまう可能性があるのかを検証することは、個人としての監査人も守ることになろう。そのため、困難な面もあるが、専門的知識の教育と実践における経験が相互に補完しあう、あるいは融合する形での研究や教育を開発していくことが重要な課題となる。
いずれにせよプロフェッションは公共の利益を守るとの社会的認知のもとで存在する。したがって、会計プロフェッションには職業人として公共の利益を重んじることが要請される。就中、監査人たる会計プロフェッションには職業的懐疑心の保持あるいは発揮が本質的に求められる資質となろう(我が国の公認会計士という名称ではCPAのP(パブリック)が抜けてしまったことが残念である。因みに、我が国の監査基準の生みの親ともいえる岩田巌先生は「公共会計士」の用語を使っている)。他方、懇談会の提言にある関連資格の取得や企業への出向などは、閉鎖性や画一性に対する対処として多様性を求めるものとも言える。今後、国際的にも通用する会計プロフェッションとして、本質的資質を共通の基盤としたうえで、多様な知見・能力・経験を有する人材が育成されるような仕組みを構築していく取り組みを進めていくべきであると考える。
ただ、どのような仕組みを整えたとしても、究極は精神的独立性の問題である。そこで最後に、次代の会計プロフェッションを目指す若人へのメッセージとして、「鴻鵠高飛不集汚池」(鴻鵠は高く飛んで、汚地に集まらず『列士』)という一文を贈りたい。
これは私が中学生のときに校長の訓話の中で聞き、なぜか覚えている漢籍の一文である。この文章の前に「呑舟の魚は、枝流に游がず」という有名な句があり、後ろに「何となれば則ち其の極遠ければなり」とう句が続く。そして何よりこの訓話をされた校長先生は我が国漢字学の泰斗である諸橋轍次氏の高弟として大漢和辞典の修訂をされた大学者であったこと、かつそのまた弟子が私の高校の漢文の先生であったことを、ずっと後になって知った。
その時はわからないことでも、時間をかけて醸成され、人生経験を経てやっと気付く大切なこともある。高い精神性を師から弟子へと連綿と伝えていくことも教育の重要な使命である。
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