教員リレーエッセイ Vol.8(2018.10.25)
フィデューシャリーとしての自覚と誇りを
―次代の会計プロフェッションへのメッセージ―
青山学院大学大学院
会計プロフェッション研究科 教授
重田 麻紀子
最近、「フィデューシャリー・デューティー」という言葉を目にしたことがあるだろうか。本年2月に、高校生が金融や経済の知識や思考力を競い合う、「第12回全国高校生金融経済クイズ選手権」、通称「エコノミクス甲子園」(主催:認定NPO法人金融知力普及協会)での決勝の最終問題として、「フィデューシャリー・デューティーについて正しく説明されているのはどれか?」という5択問題が出題された。
そもそも、フィデューシャリー・デューティー(fiduciary duty)とは、イギリスにおいて、特に18世紀以降、信託の分野で発展した概念である。もともとは、他人の財産管理を委託された信託受託者に対して、イギリスの裁判所で、自己の利益を受益者の利益より優先させてはならないという厳格な受託者責任、すなわちフィデューシャリー・デューティーを課す考え方が打ち出され、イギリス法を継受するアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの判例法国家においても、Fiduciary Lawという名で一つの法分野として確立され、定着している。
一般にフィデューシャリーとは、「他者から信頼を受けて、与えられた権限に基づいて行動する者」のことを意味する。フィデューシャリーとその者を信頼し権限を与えた者との関係は、「信認関係」(fiduciary relationship)と呼ばれ、フィデューシャリーは、自分の地位や権限を濫用し、自分を信頼してくれた者を裏切ることのないよう、フィデューシャリー・デューティーが課せられる。
こうしたフィデューシャリー・デューティーの考え方は、私たち日本人からすると外国で議論されている遠い話のように聞こえるが、すでに1990年代には年金分野において、そして今日では、日本の金融業界においては浸透し始めている。
金融庁が2014年に発表した「平成26事務年度 金融モニタリング基本方針」では、「商品開発、販売、運用、資産管理それぞれに携わる金融機関がその役割・責任(フィデューシャリー・デューティー)を実際に果たすことが求められる」としている。ここでは、金融機関に対し、フィデューシャリー・デューティーなる幅広い様々な役割・責任を要請し、顧客の視点に立った金融商品の提供などを求めているのである。
英米の裁判例では、ある特定の地位にある者については、その地位の性質上、フィデューシャリーとして位置づけられている。たとえば、信託受託者をはじめ、代理人、弁護士、医師、会社の取締役・発起人などがその典型である。さらに近年は、こうしたフィデューシャリーの典型とされる者の他にも、広くフィデューシャリー・デューティーの考え方を押し進める傾向にある。どういうことかと言えば、自らの専門性に対して他者から信頼を受け、一定の任務を遂行するという関係性があれば、そこに「信認関係」を類推し、信頼を受けた者をフィデューシャリーとして捉えていくのである。たとえば、英米などでは、金融機関が、自らの専門知識に対し信頼を寄せられ、顧客のため行動してくれるとの期待を受け、金融・投資上のアドバイスを顧客に与える場合、金融機関をフィデューシャリーとして認める判決が多く散見される。つまり、専門的知識を有する者は、通常、他者からの信頼を得て特定の任務を引き受けている以上、他者の利益を最優先に考えて行動をしなければならないという考え方が、英米では強く認識されてきているのである。
こうしたフィデューシャリー・デューティーの考え方は、まさしく、会計プロフェッションをはじめとする専門職に就く者に広く当てはまる。多くの専門職は、専門知識・技能を有することを理由に、依頼者から信頼を受けて、一定の権限と裁量が与えられるのが通常である。したがって、専門職はフィデューシャリーとして、依頼者との間に信認関係が生じ、依頼者の利益のため最大の努力をもって尽くさなければならないといえるのである。
資本主義社会は無数の契約関係によって成り立っている。契約関係においては、対等な立場・条件にある当事者同士が、お互いに自己の利益を追求し合うことが想定されている。しかし、契約関係にあっても、一定の専門知識を有する専門職とその依頼者のように、知識や技能の面で決して対等ではないところから出発し、関係が構築される場合が少なくないのが現状である。
そこで、こうした契約当事者が初めから対等な関係にない場合、そこに信認関係を入り込ませ、優位な地位にある者をフィデューシャリーとして位置づけ、非倫理的な行動をしないよう抑制することが必要なのである。
信認関係は、契約関係とは別個の関係として理解されているから、専門職にある者は、専門的サービスの提供を受任する契約を締結すると、依頼者との間には、契約関係に加えて、信認関係もそこに生じることになるのである。それゆえ、契約に書いてあろうがなかろうが、専門職にある者は、受任した業務においては、自分の利益より依頼者の利益を優先させなければならないことを強く覚悟し行動していかねばならないのである。自己が所属する職業団体が掲げる職業倫理により他律的に規律づけされる前に、フィデューシャリーとして自覚し、依頼者のために、自ら倫理的な判断や行動をすることが求められる。
日本では、フィデューシャリー・デューティーをめぐる横断的なFiduciary Lawという法の枠組みは未だ整備されてはいない。民法上の善管注意義務や会社法上の取締役の忠実義務がその拠り所としてあるにすぎない。しかし、今後、フィデューシャリー・デューティーの考え方は、グローバル・スタンダードとして、日本においても多方面で波及していく議論となるであろう。その意味でも、専門職は依頼者に対して、単なる受任者という意識だけでなく、フィデューシャリーという新たな顔を持つことを認識すべき時代にあるといえる。単に依頼者から指示されたことを行うだけでなく、他者から信頼を受けることの誇りと自覚をもって、自分を信頼して任務を託してくれた者が何を期待しているのかを見極め、依頼者にとって最善の利益を究極的に追求していかねばならない。しかし、そこには、決して難しい技術は要らない。ただ、人間らしい思考力が問われるにすぎないのであるから。
そもそも、フィデューシャリー・デューティー(fiduciary duty)とは、イギリスにおいて、特に18世紀以降、信託の分野で発展した概念である。もともとは、他人の財産管理を委託された信託受託者に対して、イギリスの裁判所で、自己の利益を受益者の利益より優先させてはならないという厳格な受託者責任、すなわちフィデューシャリー・デューティーを課す考え方が打ち出され、イギリス法を継受するアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの判例法国家においても、Fiduciary Lawという名で一つの法分野として確立され、定着している。
一般にフィデューシャリーとは、「他者から信頼を受けて、与えられた権限に基づいて行動する者」のことを意味する。フィデューシャリーとその者を信頼し権限を与えた者との関係は、「信認関係」(fiduciary relationship)と呼ばれ、フィデューシャリーは、自分の地位や権限を濫用し、自分を信頼してくれた者を裏切ることのないよう、フィデューシャリー・デューティーが課せられる。
こうしたフィデューシャリー・デューティーの考え方は、私たち日本人からすると外国で議論されている遠い話のように聞こえるが、すでに1990年代には年金分野において、そして今日では、日本の金融業界においては浸透し始めている。
金融庁が2014年に発表した「平成26事務年度 金融モニタリング基本方針」では、「商品開発、販売、運用、資産管理それぞれに携わる金融機関がその役割・責任(フィデューシャリー・デューティー)を実際に果たすことが求められる」としている。ここでは、金融機関に対し、フィデューシャリー・デューティーなる幅広い様々な役割・責任を要請し、顧客の視点に立った金融商品の提供などを求めているのである。
英米の裁判例では、ある特定の地位にある者については、その地位の性質上、フィデューシャリーとして位置づけられている。たとえば、信託受託者をはじめ、代理人、弁護士、医師、会社の取締役・発起人などがその典型である。さらに近年は、こうしたフィデューシャリーの典型とされる者の他にも、広くフィデューシャリー・デューティーの考え方を押し進める傾向にある。どういうことかと言えば、自らの専門性に対して他者から信頼を受け、一定の任務を遂行するという関係性があれば、そこに「信認関係」を類推し、信頼を受けた者をフィデューシャリーとして捉えていくのである。たとえば、英米などでは、金融機関が、自らの専門知識に対し信頼を寄せられ、顧客のため行動してくれるとの期待を受け、金融・投資上のアドバイスを顧客に与える場合、金融機関をフィデューシャリーとして認める判決が多く散見される。つまり、専門的知識を有する者は、通常、他者からの信頼を得て特定の任務を引き受けている以上、他者の利益を最優先に考えて行動をしなければならないという考え方が、英米では強く認識されてきているのである。
こうしたフィデューシャリー・デューティーの考え方は、まさしく、会計プロフェッションをはじめとする専門職に就く者に広く当てはまる。多くの専門職は、専門知識・技能を有することを理由に、依頼者から信頼を受けて、一定の権限と裁量が与えられるのが通常である。したがって、専門職はフィデューシャリーとして、依頼者との間に信認関係が生じ、依頼者の利益のため最大の努力をもって尽くさなければならないといえるのである。
資本主義社会は無数の契約関係によって成り立っている。契約関係においては、対等な立場・条件にある当事者同士が、お互いに自己の利益を追求し合うことが想定されている。しかし、契約関係にあっても、一定の専門知識を有する専門職とその依頼者のように、知識や技能の面で決して対等ではないところから出発し、関係が構築される場合が少なくないのが現状である。
そこで、こうした契約当事者が初めから対等な関係にない場合、そこに信認関係を入り込ませ、優位な地位にある者をフィデューシャリーとして位置づけ、非倫理的な行動をしないよう抑制することが必要なのである。
信認関係は、契約関係とは別個の関係として理解されているから、専門職にある者は、専門的サービスの提供を受任する契約を締結すると、依頼者との間には、契約関係に加えて、信認関係もそこに生じることになるのである。それゆえ、契約に書いてあろうがなかろうが、専門職にある者は、受任した業務においては、自分の利益より依頼者の利益を優先させなければならないことを強く覚悟し行動していかねばならないのである。自己が所属する職業団体が掲げる職業倫理により他律的に規律づけされる前に、フィデューシャリーとして自覚し、依頼者のために、自ら倫理的な判断や行動をすることが求められる。
日本では、フィデューシャリー・デューティーをめぐる横断的なFiduciary Lawという法の枠組みは未だ整備されてはいない。民法上の善管注意義務や会社法上の取締役の忠実義務がその拠り所としてあるにすぎない。しかし、今後、フィデューシャリー・デューティーの考え方は、グローバル・スタンダードとして、日本においても多方面で波及していく議論となるであろう。その意味でも、専門職は依頼者に対して、単なる受任者という意識だけでなく、フィデューシャリーという新たな顔を持つことを認識すべき時代にあるといえる。単に依頼者から指示されたことを行うだけでなく、他者から信頼を受けることの誇りと自覚をもって、自分を信頼して任務を託してくれた者が何を期待しているのかを見極め、依頼者にとって最善の利益を究極的に追求していかねばならない。しかし、そこには、決して難しい技術は要らない。ただ、人間らしい思考力が問われるにすぎないのであるから。
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