教員リレーエッセイ Vol.2(2012.11.10)
それは専門外ですか?
青山学院大学大学院
会計プロフェッション研究科 特任教授(当時)
吉村 貞彦
学生からの就職相談をしていると、彼らから異口同音に「スペシャリストになりたい」という言葉が発せられます。スペシャリストという用語には、ある特定分野に関して高度な専門的知識・技術等を持っている専門家というイメージから、専門分野を絞り込んで、さらに特定分野に特化すれば、将来、就職先が業績不振になってもリストラの対象者にはならないだろうとか、会社勤めが嫌になったら、いつでも独立開業出来るだろうという期待が込められているような気がします。
会計分野のスペシャリストとして思い浮かぶのは、金融商品会計の専門家、退職給付会計の専門家、移転価格税制の専門家、相続税の専門家、管理会計の専門家、監査の専門家等々です。企業活動が複雑になるにつれて、特定分野のことを詳しく理解するという専門化は不可欠であり、専門的知識を有するスペシャリストの需要は高まるとともに、専門を隔てる壁はますます厚く高くなってきています。
会計以外の分野でもスペシャリストたる専門家の需要は高まってきていますが、昨今の家電業界は、急速な技術革新や生産現場の海外移転等により、特定分野に関する高度な知識や技術を有するスペシャリストであっても、その技術自体が不要になるとか職場自体がなくなるという事態に遭遇しており、いわゆる“つぶしが効かない”という意味においてスペシャリスト受難時代でもあります。
スペシャリストやジェネラリストという用語のほかに、プロフェッションもしくはプロフェッショナルという用語がありますが、プロフェッションの意味とか、スペシャリストとプロフェッショナルとの違いは何だろうか、という疑問が湧いてきます。
文部科学省大学院部会の議事録を見ると、平松一夫委員は「会計の世界では、イギリスにはプロフェッショナル・アカウンタントとアカウンティング・テクニシャンがある。プロフェッションというのは、明らかに高度職業人であるが、テクニシャンというと、記帳技術等を専門とするスペシャリストをいう。」と述べられています。
世間では、スペシャリストでプロフェッションもいれば、プロフェッションであってもスペシャリストでない場合もあり、スペシャリストとプロフェッションとを対立する概念でみるとわかりにくくなります。
スペシャリストとプロフェッションの違いについて思い浮かぶのが、2010年に時代劇として公開された映画「武士の家計簿」です。
「武士の家計簿」は、加賀藩の下級武士でそろばん侍といわれた「御算用者」の猪山直之が借金返済に奔走する姿と息子成之が幕末維新の動乱に巻き込まれながらも、明治維新後は大村益次郎のもとで働き、海軍主計大監に昇進するまでの猪山家の家族を描いた物語です。息子成之は、そろばん侍という経理事務のスペシャリストを土台にして新政府軍のロジスティック(兵站)業務でその能力を発揮し、明治維新で多くの武士階級が没落する時流のなかで家族を支えたのです。
ある特定分野で得たスペシャリストとしての専門的知識・経験を新しい分野に気概と創造的思考を持って挑戦した猪山成之にプロフェッション精神を見る思いがします。
さらに、第2次大戦後の混乱期にあって、我が国の公認会計士制度創設と発展に尽力された太田哲三先生(明治22年~昭和45年)は、諸団体や企業の経理部門から揮ごうを頼まれると「吾等は 会計奉公の精神を堅持し 企業財政の健全化により 邦国経済の永遠なる繁栄に 寄与するを本領とす」と揮ごうされていたと聞いています。この「会計奉公」の言葉には、戦後の荒廃した国土から立ち上がろうと、高邁な理想に燃え、会計を取り巻くあらゆる分野の課題に対して積極的に取組んで新時代を切り開いた当時の会計学者・企業の経理部門の人々・職業会計人たちの心意気とプロフェッション精神を感じます。
現在、会計分野の業務に関わる専門家は、1990年代後半の会計ビッグバン以降に導入された時価会計いうグローバリズムの流れのなかにあります。それまでの取得原価主義という枠組みの中で理解してきたローカリズム的な知識経験では全く対応できない課題が怒涛の如く押し寄せてくる現状に翻弄され戸惑っているのです。
しかし、幕末の幕藩体制から明治維新への移行期および第2次大戦前の戦時体制から戦後の証券民主化への移行期の混乱に比べれば、比較にならないほど大したことではないと思います。
ドラッカーは、「今後、グローバル化と競争激化、急激なイノベーションと技術革新の波の中にあって、これからは、ますます多くの人たち、特に知的労働者が雇用主たる組織よりも長生きすることを覚悟しなければならない。」と述べ、これから求められる人材は組織の寿命よりも長く活躍する“プロフェッショナル”であると言っています。
専門化を突き詰めていくと取り組む課題をあまりにも狭い範囲に限定し、「それは私の専門外です。」という態度を導きかねない危険性があります。他の分野のコンセプトや成果を応用しようとする発想や思考がなくなるかもしれません。
次代の会計プロフェッションは、これまでの経験や知識が及ばない課題であっても「それは私の専門外です。」とは言わずに、積極果敢に時代と向き合ってチャレンジしていくのが真のプロフェッションではないでしょうか。
〔参考文献〕
・「頭にガツンと一撃」ロジャー・フォン・イーク著 城山三郎訳 新潮社発行
・平成22年3月23日 文部科学省 大学院部会専門職学位課程ワーキンググループ(第6回)議事録
・「プロフェッショナルの条件」P.F.ドラッカー著 上田惇生編訳 ダイヤモンド社
会計分野のスペシャリストとして思い浮かぶのは、金融商品会計の専門家、退職給付会計の専門家、移転価格税制の専門家、相続税の専門家、管理会計の専門家、監査の専門家等々です。企業活動が複雑になるにつれて、特定分野のことを詳しく理解するという専門化は不可欠であり、専門的知識を有するスペシャリストの需要は高まるとともに、専門を隔てる壁はますます厚く高くなってきています。
会計以外の分野でもスペシャリストたる専門家の需要は高まってきていますが、昨今の家電業界は、急速な技術革新や生産現場の海外移転等により、特定分野に関する高度な知識や技術を有するスペシャリストであっても、その技術自体が不要になるとか職場自体がなくなるという事態に遭遇しており、いわゆる“つぶしが効かない”という意味においてスペシャリスト受難時代でもあります。
スペシャリストやジェネラリストという用語のほかに、プロフェッションもしくはプロフェッショナルという用語がありますが、プロフェッションの意味とか、スペシャリストとプロフェッショナルとの違いは何だろうか、という疑問が湧いてきます。
文部科学省大学院部会の議事録を見ると、平松一夫委員は「会計の世界では、イギリスにはプロフェッショナル・アカウンタントとアカウンティング・テクニシャンがある。プロフェッションというのは、明らかに高度職業人であるが、テクニシャンというと、記帳技術等を専門とするスペシャリストをいう。」と述べられています。
世間では、スペシャリストでプロフェッションもいれば、プロフェッションであってもスペシャリストでない場合もあり、スペシャリストとプロフェッションとを対立する概念でみるとわかりにくくなります。
スペシャリストとプロフェッションの違いについて思い浮かぶのが、2010年に時代劇として公開された映画「武士の家計簿」です。
「武士の家計簿」は、加賀藩の下級武士でそろばん侍といわれた「御算用者」の猪山直之が借金返済に奔走する姿と息子成之が幕末維新の動乱に巻き込まれながらも、明治維新後は大村益次郎のもとで働き、海軍主計大監に昇進するまでの猪山家の家族を描いた物語です。息子成之は、そろばん侍という経理事務のスペシャリストを土台にして新政府軍のロジスティック(兵站)業務でその能力を発揮し、明治維新で多くの武士階級が没落する時流のなかで家族を支えたのです。
ある特定分野で得たスペシャリストとしての専門的知識・経験を新しい分野に気概と創造的思考を持って挑戦した猪山成之にプロフェッション精神を見る思いがします。
さらに、第2次大戦後の混乱期にあって、我が国の公認会計士制度創設と発展に尽力された太田哲三先生(明治22年~昭和45年)は、諸団体や企業の経理部門から揮ごうを頼まれると「吾等は 会計奉公の精神を堅持し 企業財政の健全化により 邦国経済の永遠なる繁栄に 寄与するを本領とす」と揮ごうされていたと聞いています。この「会計奉公」の言葉には、戦後の荒廃した国土から立ち上がろうと、高邁な理想に燃え、会計を取り巻くあらゆる分野の課題に対して積極的に取組んで新時代を切り開いた当時の会計学者・企業の経理部門の人々・職業会計人たちの心意気とプロフェッション精神を感じます。
現在、会計分野の業務に関わる専門家は、1990年代後半の会計ビッグバン以降に導入された時価会計いうグローバリズムの流れのなかにあります。それまでの取得原価主義という枠組みの中で理解してきたローカリズム的な知識経験では全く対応できない課題が怒涛の如く押し寄せてくる現状に翻弄され戸惑っているのです。
しかし、幕末の幕藩体制から明治維新への移行期および第2次大戦前の戦時体制から戦後の証券民主化への移行期の混乱に比べれば、比較にならないほど大したことではないと思います。
ドラッカーは、「今後、グローバル化と競争激化、急激なイノベーションと技術革新の波の中にあって、これからは、ますます多くの人たち、特に知的労働者が雇用主たる組織よりも長生きすることを覚悟しなければならない。」と述べ、これから求められる人材は組織の寿命よりも長く活躍する“プロフェッショナル”であると言っています。
専門化を突き詰めていくと取り組む課題をあまりにも狭い範囲に限定し、「それは私の専門外です。」という態度を導きかねない危険性があります。他の分野のコンセプトや成果を応用しようとする発想や思考がなくなるかもしれません。
次代の会計プロフェッションは、これまでの経験や知識が及ばない課題であっても「それは私の専門外です。」とは言わずに、積極果敢に時代と向き合ってチャレンジしていくのが真のプロフェッションではないでしょうか。
〔参考文献〕
・「頭にガツンと一撃」ロジャー・フォン・イーク著 城山三郎訳 新潮社発行
・平成22年3月23日 文部科学省 大学院部会専門職学位課程ワーキンググループ(第6回)議事録
・「プロフェッショナルの条件」P.F.ドラッカー著 上田惇生編訳 ダイヤモンド社
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